「自分はぶすなのに、かわいいと思っている」
一見すると、この言葉は自信過剰や勘違いのように聞こえるかもしれません。けれど、実際はその逆。
この自己認識の裏には、他人の基準に縛られない自己肯定感の成熟と、現実を受け止めたうえで前に進む強さがあります。
外見社会の中で生きる私たちにとって、それは“美人よりも強く生きる”ための心理的スキルなのです。
では、「ぶすなのにかわいいと思う」ことには、どんなメリットがあるのでしょうか?
ここでは心理・行動・人間関係の3つの側面から、丁寧に掘り下げていきます。
「ぶすなのにかわいいと思う」——矛盾のようで、実は最強のメンタル戦略
1. 「ぶすなのにかわいい」と思える人は、自己肯定感の使い方がうまい
私たちはしばしば、「かわいい=見た目が整っていること」と思いがちです。
けれど、「かわいさ」はもっと広い概念です。
- たとえば、話し方やリアクションが柔らかい人
- 小さな努力を楽しそうに続ける人
- そんな“雰囲気”や“心の姿勢”にも、かわいらしさは宿ります
「ぶすなのにかわいいと思う」人は、この“本質的なかわいさ”を理解しています。
つまり、「見た目の点数」で自分を測らず、「自分の持つ魅力の種類」を把握している。
これは成熟した自己認識の表れです。
自分を冷静に見つめながらも、「それでも私にはかわいい部分がある」と思える。
このバランス感覚こそ、真の自己肯定感です。
自己肯定感は“根拠のある勘違い”でいい
心理学では、人間は「自己効力感(自分はできる)」と「自己受容(できない自分も受け入れる)」のバランスで安定するといわれます。
つまり、「私は完璧ではないけど、それでも魅力がある」と思える人が一番強い。
その考え方がまさに「ぶすなのにかわいい」です。
見た目にコンプレックスがあっても、「自分を少しでもかわいいと思える」ことは、落ち込みを防ぐメンタルの防波堤になります。
根拠なんていりません。
“思い込む力”が、やがて本当の魅力を引き出すのです。
2. 「かわいい」と思うことで、行動が自然にポジティブになる
人は、自分のイメージに合わせて行動する生き物です。
これを心理学では「自己成就的予言」(セルフ・フルフィリング・プロフェシー)と呼びます。
「自分はかわいい」と思っている人は、無意識に“かわいく見える行動”をとります。
たとえば笑顔を心がけたり、丁寧な言葉を使ったり。
服装や姿勢にも気を配るようになる。
すると、その積み重ねが周囲からの印象を変えます。
「なんか感じがいい」「一緒にいると楽しい」と思われるようになるのです。
つまり、「かわいいと思う」ことは、単なる勘違いではなく、自分の行動を導く“思考の方向づけ”なのです。
“思い込み”が現実を形づくる
たとえば、芸人さんやアイドルの中にも、「最初は自信がなかったけど、自分をかわいいと思うようになって変わった」という人は多いです。
鏡を見るたびに「悪くないかも」と言ってみる。
新しい服を着たら、「私、けっこう似合ってる」とつぶやいてみる。
こうした小さな“セルフトーク”が、脳の回路を書き換えます。
やがて本当に自信が芽生え、表情や仕草が変わっていく。
それを見た他人が「かわいい」と感じる——この流れは、科学的にも説明がつくのです。
3. 「ぶすなのにかわいい」人は、観察力と努力の人
見た目に自信がない人ほど、周囲をよく見ています。
「どうすればあんな雰囲気を出せるんだろう?」
「この人の笑い方、真似してみようかな」
そんな観察と試行錯誤の積み重ねが、“努力で磨かれたかわいさ”を生みます。
整った顔立ちの人が持って生まれた魅力で勝負するなら、
「ぶすなのにかわいい」人は“人間観察と改善力”で勝負している。
それは単なる外見の話ではなく、生き方そのものに表れます。
相手をよく見て行動できる人は、恋愛でも仕事でも信頼されやすい。
この“観察から来る気づきの深さ”が、人としての魅力を底上げしているのです。
4. 自虐とユーモアを武器にできる
「ぶすなのにかわいい」と公言する人の多くは、どこかユーモアを感じさせます。
それは、強がりでも開き直りでもなく、自己肯定と自己受容の融合です。
「どうせ私は美人じゃないし」と卑屈になるのではなく、
「まあ、ぶすだけど愛嬌あるし!」と笑いに変えられる人。
こういう人は、周囲に安心感と明るさを与えます。
人間関係で一番大切なのは、「一緒にいて楽しい」と思われること。
そのためには、美貌よりも空気を明るくする力の方がずっと強い。
「ぶすなのにかわいい」と思える人は、そのポジティブさで周囲の気持ちまで変えてしまうのです。
5. コンプレックスを行動の燃料にできる
「ぶす」という言葉には、強い否定のニュアンスがあります。
でも、それをそのまま受け入れてしまうと、心が萎えてしまう。
一方で、「ぶすだけどかわいい」と思える人は、その痛みを原動力に変えています。
「どうせなら自分らしく楽しもう」
「努力でかわいく見えるようになってやろう」
そうやって動く人は、内面の魅力も育ちます。
コンプレックスを笑い飛ばせる人ほど、人生のエネルギーが強い。
これは、メンタルの回復力——いわゆるレジリエンスの高さを示しています。
6. 他人の評価から自由になれる
「ぶすなのにかわいいと思う」という態度の最大のメリットは、他人の目からの解放です。
人は無意識のうちに「他人の基準」で自分を判断しています。
SNSでいいねが多い人を見て落ち込んだり、美人な同僚と比べて自信を失ったり。
けれど、「ぶすでもかわいい」と思える人は、そのレースから降りています。
他人の物差しではなく、自分の世界で自分を評価しているのです。
その自由さは、人生全体に余裕をもたらします。
他人の成功や美しさを素直に祝福できるようになり、心の穏やかさが増す。
結果として、周囲から「魅力的だな」と感じられるようになるのです。
7. 「ぶすなのにかわいい」と思える人ほど、恋愛でモテる
意外に思うかもしれませんが、これは事実です。
恋愛心理学では、魅力を感じる要素のうち外見の影響は3割以下とも言われています。
残りの大部分は「表情・声・仕草・話し方・空気感」など、内面から出る印象です。
「ぶすなのにかわいい」と思う人は、自分のかわいさを信じているので、自然と笑顔が増え、相手を安心させる雰囲気をつくります。
その結果、相手の中で“居心地の良い存在”になるのです。
つまり、自分をかわいいと思える人は、他人からもかわいく見える。
これは外見の美しさよりも、ずっと強い武器です。
8. 「かわいい」と思うことは、自分を大切に扱うこと
自分をかわいいと思うと、自然と丁寧になります。
服を選ぶときも、スキンケアをするときも、「自分を大切にしたい」という気持ちが行動の軸にある。
この習慣が積み重なると、心も体も健康になります。
さらに、「自分を大事にしている人」は、他人からも大事にされやすい。
逆に、「自分なんて」と思っている人は、どこか無防備で、雑に扱われることも多い。
自分への扱い方が、他人からの扱い方を決める——これは人間関係の鉄則です。
だから、「ぶすなのにかわいい」と思うことは、単なるポジティブシンキングではなく、自己尊重のスタートラインなのです。
まとめ・「ぶすなのにかわいい」は、自己受容の完成形
「ぶすなのにかわいい」と思うことのメリットを整理すると、こうなります。
・自己肯定感を高め、現実を受け入れながら前向きに生きられる
・行動がポジティブになり、周囲からの印象も良くなる
・観察力と努力によって、自分なりの魅力を磨ける
・ユーモアと柔らかさで人間関係が豊かになる
・他人の評価から自由になり、恋愛や仕事でも堂々とできる
外見社会の中で、「かわいくない」と思い込むのは簡単です。
でも、あえて「それでもかわいい」と思うことは、立派な勇気です。
その一言の裏には、「私は私をあきらめない」という宣言がある。
そして、それこそが人生を軽やかにする最大の武器なのです。
“ぶすなのにかわいい”は、最強のメンタルスキル。
それを持っている人は、どんな時代でも、どんな場所でも、自分らしく輝くことができるのです。
