「ぶすなのにかわいいと思う」——その裏に潜む落とし穴
「自分はぶすなのに、かわいいと思っている」
この言葉は、自己肯定感の高さや前向きさを象徴するものとして語られることが多いです。
しかし、その一方で、無意識のうちに周囲とのズレや孤立を招くこともあります。
どんな考え方にも光と影があります。
「ぶすなのにかわいいと思う」ことは、心を守る盾になる反面、誤った方向に使うと、知らぬ間に自分を苦しめてしまうこともあるのです。
ここでは、そのデメリットを心理・人間関係・社会的視点から掘り下げていきます。
1. 自分を客観的に見られなくなるリスク
「かわいいと思う」ことは確かにポジティブですが、それが過剰になると現実認識の歪みを生むことがあります。
たとえば、他人からの指摘や助言を「嫉妬」と決めつけたり、鏡を見るたびに“理想の自分”しか見えなくなったり。
この状態になると、成長のチャンスを逃してしまいます。
自己肯定感は、自分を甘やかすことではなく、冷静に受け入れることから始まります。
「ぶすなのにかわいい」と思うこと自体は悪くありませんが、そこに「だから私は何もしなくていい」という甘えが加わると、停滞のサインです。
自己評価が「他者評価」と乖離するとき
人間は社会的な存在です。
他人の目を気にしすぎるのも問題ですが、完全に無視するのも危険です。
「自分ではかわいいと思っているけど、周囲の反応が冷たい」という状況が続くと、やがて周囲との認知ギャップが生まれます。
このギャップが広がると、人間関係のすれ違いや誤解が増え、「あの人、ちょっと痛いよね」と距離を置かれてしまうことも。
自己肯定と現実認識は、常にセットで保つことが大切です。
2. 「かわいい」の基準が自己完結すると、努力を失いやすい
「自分はぶすだけど、かわいい」と思える人は強いです。
ただし、それが“努力しなくてもいい理由”になってしまうと、そこに落とし穴があります。
かわいさや魅力は、日々の小さな努力の積み重ねで磨かれるもの。
でも、自分をかわいいと思いすぎると、現状維持に満足してしまう。
「これで十分」と思った瞬間、人は成長をやめてしまうのです。
「自己満足」と「自己信頼」は似て非なるもの
「私はこれでいい」と思うのは素晴らしいことです。
けれど、それが「私はこれしかできないからいいや」に変わると、自己満足の沼に陥ります。
自己信頼とは、「今の自分を受け入れた上で、より良くなろうとする力」。
一方、自己満足は「これで完璧」と思い込み、変化を拒む態度です。
「ぶすなのにかわいい」と思うことが、後者に傾くと危険です。
成長を止めた自己評価は、やがて周囲との温度差を生み、孤立を招く原因になります。
3. 周囲とのコミュニケーションにズレが生まれる
「ぶすなのにかわいいと思ってる人」には、周囲がどう接していいのか分からないという現象が起きがちです。
相手が自信満々な場合、冗談も言いづらく、気軽な会話が減ってしまう。
また、「私ってかわいいでしょ」といったアピールを続けると、周囲が気を使いすぎてしまうこともあります。
その結果、本人は「私は嫌われている」と感じ、周囲は「どう接すればいいか分からない」という悪循環に。
コミュニケーションの基本は相互理解です。
自分の世界に閉じこもりすぎると、せっかくの明るさや個性が伝わらなくなってしまいます。
4. 比較の意識が消えたようで、実は根底に残っている
「ぶすだけどかわいい」と言う人の中には、「他人と比べない」と言いながら、心のどこかでまだ比較している人も少なくありません。
「私は美人とは違う魅力で勝負する」と言いつつ、どこかで「でもあの子よりはマシ」と思ってしまう。
この“無意識の比較”が、自己矛盾を生みます。
強がりと自己肯定の境目は、紙一重。
もし、「かわいい」と思うたびに少し無理をしているなら、それは防衛反応かもしれません。
本当の自己受容とは、「ぶす」も「かわいい」も超えること
本当に自分を受け入れている人は、もはや「ぶす」や「かわいい」という言葉に縛られません。
それは「自分は何者か」というアイデンティティの土台ができている状態です。
「ぶすなのにかわいい」と思うことは、自己受容への入り口ですが、永遠のゴールではありません。
もしその言葉に少しの痛みや強がりが残るなら、それはまだ途中段階。
次のステップは「かわいいと思わなくても幸せ」な自分に出会うことです。
5. 周囲から「痛い」「勘違い」と見られるリスク
残念ながら、社会には「自己肯定感が高い人」に対して批判的な目を向ける人もいます。
特に女性の場合、「自信がある=生意気」と取られやすい場面も少なくありません。
「ぶすなのにかわいいと思う」人が悪いわけではありませんが、発言や態度の表現方法によっては、誤解を招くことがあります。
自信と謙虚さのバランスを欠くと、周囲の共感を得にくくなってしまうのです。
「自己肯定の見せ方」もコミュニケーションの一部
「自分のことを好き」という気持ちは素晴らしい。
でも、それをそのまま言葉にすると、相手がどう受け取るかは別問題です。
「私、ぶすだけどかわいいんだよね」と言ったとき、
それを冗談として受け取ってくれる人もいれば、
「自分で言うのはちょっと…」と感じる人もいます。
つまり、自己表現には“温度調整”が必要なのです。
どんなに正しいことでも、伝え方ひとつで印象は大きく変わります。
6. 「かわいい」を盾にして、課題から逃げてしまうことがある
人は誰しも、うまくいかない現実から目をそらしたくなるときがあります。
そのとき、「自分はぶすだけどかわいいから大丈夫」と思い込むことで、安心しようとする人もいます。
けれど、それは本当の安心ではありません。
一時的に不安を覆い隠しているだけで、根本の課題は解決していない。
たとえば、対人不安、自己否定、恋愛の不安定さなど。
「かわいい」という自己イメージで心を守るのは悪くありませんが、それだけに頼ると“現実回避”になってしまうのです。
真の強さは、弱さを認めた上で立つこと
「ぶすなのにかわいい」と思う人は、弱さを抱えながらも前を向いています。
それは素晴らしいことです。
ただし、そこに「私はもう完璧」という思いが混ざると、成長が止まります。
真の強さとは、かわいさを装うことではなく、「不安もあるけど、それでも大丈夫」と思える柔らかさです。
7. まとめ:「ぶすなのにかわいい」は“通過点”にすぎない
「ぶすなのにかわいい」と思うことには多くのメリットがありますが、それはゴールではありません。
むしろ、自己受容の途中にある“ゆらぎの状態”と言えるでしょう。
デメリットをまとめると、以下のようになります。
- 現実認識のズレが生まれる
- 努力をやめてしまうリスク
- 周囲とのコミュニケーションが難しくなる
- 無意識の比較や防衛反応に陥る
- 誤解や孤立を招く可能性がある
しかし、これらはすべて“使い方次第”です。
「ぶすなのにかわいい」という自己評価を、逃げ道ではなく、前に進むための“通過点”として活かすこと。
それができれば、この言葉はあなたの人生を強く支える味方になります。
かわいさとは、見た目ではなく、心の使い方。
その心が現実と向き合いながら磨かれていくとき、人は本当の意味で美しくなっていくのです。
